インド
との時差3時間半。
インドから帰国しても、
毎回のように、、、いつもこの3時間半の
時差をなかなか克服できない(笑)
19歳、20歳の若い頃から、こんな噂をずっと聞いていた。
"インドにいくと人生が変わる" と。
だから、これ以上
人生が狂ったように変わってしまっては大変!
と思い、、、
私には、インドにいくときがやってくるのだろうか?とずっと思っていた。
よくなんだかわからない、なにかによって
自分の人生が変えられてしまっては、、、、困るぅぅうううxxxx
よxぉ
~~おお
ここまでやってくるのにだって
大変だったのに、
これ以上、
なにものかもわからない、なにかに動かされるなんて、、、冗談じゃない
ぜぃぃ
と
唸っていたあの頃。
しかし、いまはちっと違う。
そのなんだかわかんない、
なにかに動かされるなにかにふと、笑みがでてしまう。。。
生涯かけても完成もしない、パズルについて考える瞬間。
予想したってしょうがない未来よりも
ここへ、
この地へ自分を運んで来てくれた偶然たちの一致の瞬間を感じる、
このインドという場所。
これまでの生き方も考え方も
もういい訳なんかも効かないことを証明しているようでもある。
誰かのせいにしたり、
出来事や会社や親のせいにしてるうちは、人生は進まない。。。止まったままでいるのだ。
なにをどのようにほざこうが、
自分の人生からは誰一人も逃げられないのだ。
いいも悪いも、
健康の問題も、お金の問題も、
家族や人間関係の問題も仕事や子供の問題も、すべてあなた自身の問題にすぎない。
自由意思で、その問題に取り組むかどうかも自分次第だ。
もちろん、生涯その課題から逃げ回って
回避したことをまるで勝利したかのように振る舞うことも可能だ。
世界で3番目に話す人が多いインドの公用語@ヒンズー語で、
「ひとみ」という言葉は、
なんと日本語で書く 「仁」 と同じ意味にあたるのである。
「仁(じん)」とは何か?
解 説: 「仁」は思いやり、慈しみの心の意。
誰にも差別をせず、全ての人を平等に見て同じように思いやりをもって待遇すること。
すべてを平等に慈しみ差別しないこと。
えこひいきがなく、だれかれの区別なく同じように人を遇すること。
また、身分・出身・敵味方などにかかわらず、
どんな人でも平等に慈しみ、禽獣(きんじゅう)にも区別なく接すること。
▽「一視」は同じように見ること。
「仁」は思いやり・愛情の意。「同仁一視どうじんいっし」ともいう。
儒教には、五常(ごじょう)と称して、人間が常に守るべき徳目を五つ挙げている。
五常とは、仁・義・礼・智・信 の五つ。
- 仁(じん):一視同仁の思いやり
- 義(ぎ): 為すべきことを為す
- 礼(れい):礼儀礼節
- 智(ち): 智慧のはたらき
- 信(しん):信頼すること、されること
特に 「仁」は、この五常のうち最高の徳目として、尊重されている。
たとえ「智」の働きがちょっぴり慎ましやかであっても、
他人に対する思いやりの心、一視同仁の心を豊かに持つのであれば、
天地神明もその人を尊びなさると記されている。
インドの旅の1/3を終え、
ナチュロパシー(自然療法)の施設に入るなり、
わずか数分で各自の性格から気質をさらりと言い当ててくる、ドクターに驚き
、
98%がヒンズー語の中でのトリートメント中も(ドクターからの各自の処方)、
妙に~馴れ馴れしいインド特有のコミュニケーションで
「ひっとみぃは、いい名前だ
ね~」と手を組んでくる![]()
ヒンズー語ではこれこれの意味だと、
ドクターやガイドさんやインドの女性たちが笑顔で説明してくれる。
人はそう何度も言われると、
そこに意味をつけたくなってしまう。
10年前、初めて行った自己啓発セミナーで
私が目指した人格を磨く分野での目標は、「思いやりのある人」になることだった。
できないからこそ、人はそれを目標に目指すものなんだとそう思いたかった。
そして今、
「NLPって何ですか?」の問いに、
" NLPとは、だれかの思いやり " なんだと応える私がここにいる。
あーあ、これでまた・・・
生涯かけても完成もしない、終わらないパズルの絵がぁ、、、、、、、



