おっとっやべやべ![]()
今年の夏のインドの旅行記の最終回@その5 を
書き終える前に、
また次のインドへ行く手配が進んでしまってる。。。
次は、2010年2月。
12年に一度しかない、インド・クンバメラ大祭という貴重な旅へ行くことになった。
別に、インド好きでしょっちゅう行ってる訳でもないんだけど![]()
意外とそう思われてしまうので、ちょっとだけ弁解すると(笑)
インドはなんとも説明しにくいほど、不思議な場所なのだ。
インドに行くとなると、
普段の旅行や海外旅行へ行くテンションとはちがい、
自然と気持ちが高揚し、興奮する。
そんでもって、
インドに降り立つと、、、、そこらじゅうに平気でゴミ捨ててるし、
そうかと思えば、観光スポットは綺麗だし、
野良犬では、なく・・・のら牛
が普通に道路にいるし、
貧乏で貧困なのかと思えば、
世界のお金持ち
トップ100人中25人はインド人だし、
いろんなたくさんの神様がいてお祭りが好きで、
兄弟や旦那様に感謝するお祭りもあって家族を大事にしてるし、
結婚はたいていインド占星術からのホロスコープでマッチングして決めるから
神様が決めたことだからと、離婚はほとんどしないし、
ベジタリアン料理にも平気でミルクもチーズも入ってくるから、なんで?と聞くと
だって牛乳は " 野菜だ!" と普通に?!言っちゃうくらいだし(笑)、
まぁ、
牛さんは草食べてるもんね
、、
平和的感覚の日本人にしてみれば、順番に列作って並んでても
インド人はその列のわずかな隙間が「空いてる
」と見えて、
しら~と割り込んで入ってくるので
うっかり!順番抜かされた!
と思うけど、
前と後ろの人のお腹同士がくっついていれば、→「
空いてない」とわかるような・・・
それがインド人みんなの常識だったりするし、、、
目で見るインドと
身体で体感するインドは全く違ってて、
ガイドブック
で知るインドと
心や精神で想うインドとは大きな差があると感じるくらいに、不思議な国なのだ。
だもんで、それを大いに楽しむために旅行の事前準備や、
そのもの自体から異常に楽しく感じるもんだから、(妄想したりね
)
いつもたいていインド出発一週間前から、
家の中の一部屋はインド旅支度部屋となる(笑)。
しかぁーーーーーーしっ!
インド滞在一週間も過ぎるころには、次第に・・・
もう
日本へ帰りたぁい、おうちへ帰りたぁーいよぉ・・・・・
と、もう普通の生活がいい!と感じるようになっていく。
そして、
日本へ到着し、
自宅で眠るとき、あーーー自分ち
がいいわぁ。とほっと
する。
ただ、普段と変わらない自宅の布団に安らぎを感じるから、もう笑っちゃう。
知人でちょくちょくインドへ行く方がいるのだが、
成田に着いて
、空港のトイレ
に入るだけで、ほっとすると話していて、
思わず、爆笑してしまったことがある。
日本人でよかったぁーと思う瞬間である。
日本人に生まれてよかったぁ~と思うことはあっても、
日本人で生まれて、日本で生活できて、
この平和で綺麗で安全な国で暮らしてる恩恵や豊かさについて、
行動で示せたことはどれくらいあるというのだろうか?
じゃぁ、環境問題や普段できるエコな生活はどうかな?
節水、節電、ガスの節約。
暖房&冷房 → 服で調節したりして、さらに丈夫な身体を作って医療費を削減とか![]()
ガソリン → 公共機関使うか、なるべく歩くとか。
ゴミの量 → 買いすぎない、買いだめしない、リサイクルに出す、利用するとか。
なるべくケミカルなものを選ばず、化学繊維を着ないようにして、
自然素材の衣類を選んで着るとか。
でもさぁ、フェアなトレードをしてないカカオで作った「チョコレート」は
まだまだときどき買って食べちゃう
し、。
不思議とインドという国にいると、ふと思うことがある。
私は、なんのために生まれてきたんだろうか?と。
お前のしたいことはどうでもいいっ!
お前の好みだとか苦手だとか、嫌だからとか、もう、そういうことなんかじゃなくて・・・、
自分がすべきことは、何なんだろうか?
何のために、今、このときに、この地に来させられているのだろうか?と。
生活の違いや常識の違いを見せられて、体験させられて、
『 差のない世界 』 を体験しつつ・・・
私自身、忘れてしまっていることは何だろうか?と。
私は、何を想い出し、
何を始めださなければ、いけない時期にきているのだろうか? と。
よく、「全然、悪いことなんかしてないのに、なんで?自分が?」という話を聞く。
そうだよね・・・
悪いことなんかしないで、やってきたかもしれない。
じゃぁ、
率先して、積極的に よいことは、してきたのだろうか?
自ら進んで、
誰かの役に立てることを探してやってきたのだろうか?
目の前にある課題や
自分に起きている出来事について
時間やお金が充分でないから、とか
「よくわからない」し「苦手」だからといって、、
いつもなにかを理由に依存して、
文句言って、怒って、誰かのせいにして、
人生の責任を逃れて、
変われない理由を正当化して
ずっと取り組まないできたものは、ないだろうか?
そうやって、実はずっと長い間・・・
未来に期待したり、
今を軽くみて、すべきことをサボり、
きっといつか、そのうちどうにかなるだろうと、
" 人生 " そのものに寄りかかっていたのではないだろうか?
どうにかして、この今のままの自分で いられる方法探しを
生活や習慣を改善してるからいいんだ!とか、
自分を好きになる
とか
自分を見つける
とか の言葉に変えているだけではないだろうか?
人生で受け取るものは、
すべて、あなたが与えたものに過ぎないと賢人たちは言う。
それは、きっと今生だけではないだろう。
おそらく、前世からも引き継いでいるものもあるに違いない。
もし、そういうつながりなんかないよ!というなら、
この世は乱世になってしまう。
正義もいらない。
欲しいものは、奪ってでも殴ってでも殺してでも手にしてしまう。
嫌なことがあれば、
気が済むまで、好き勝手にしてしまうだろう。。。
それでは、成長や進歩がないことを 深い意識では誰もが理解があるから、
みんは必死に
人生の課題に取り組んでいる。
いいことがないとか、
全然悪いことしてないのに、とか、
目の前にある課題が大き過ぎるとか、重荷すぎたり、
自分に起きている出来事について、
葛藤や苦悩や困窮など・・・
あるいは、嫉妬やねたみや羨望、不安や心配など・・・
それを他の誰かと自分を比べてどうか?で評価しても、
それはただ単に
自分勝手な世界観になるだけではないだろうか?
ときどき、はっ
!と気づくと、
やばっ!また自分勝手な世界観にいる自分を見つけては、がっくりさせられる
・・・・。
なんてこった・・・、
わずかな一部分しか見れていない、自分の幼稚さにしょんぼりする日々。
私たちは誰もが、
教えられてばっかりもなければ、
教えてばっかりも存在しないように、
いつだって この 「差がない」というこの宇宙の中で、均等が保たれている。
2003年に、こころの達人
が始まって6年。
人生についてもっと学ぼうと、自分と向き合うことは、
きっと、
どこかの誰かの人生にも大きな影響力があるとずっとそう思って私たちは、
こころの達人が開催する講座やセミナーでの収益と
自分たちが続けられる範囲をいつも合わせて、
ずっと、
タイやラオスの子供たちが中学校へ行くことができる、ダルニー奨学金へ寄付してきた。
(※現在中学校へ通っている子供たちとその奨学金証書。2009年今年のもの。)
インドの孤児院で、食事やお菓子などのフリーミールをする機会に恵まれた。
そして、今年の夏も再度インドへ行くことになった今回の旅でもまた、
ナチュロパティからの帰り道、1時間くらいのところに、
知人が支援している ADF という孤児院の団体施設あり、訪問することなった。
特に学生として寮施設があったり、
大人になっていく過程で、学校へ通えることはなんと素晴らしい支援方法なんだろう。
えんぴつや消しゴムなどの文房具や、お菓子、少しの服などを
直接ひとりひとりに手渡す用意もしてくれた。
これまでこころの達人講座やセミナー終了後に、
以前は、寄付を一緒に呼び掛けた時期もあったが、
イタリアの数学者が発見したパレートの法則= 『 80:20の法則 』 どおり、
参加者のほんと、ほんとぴったし!80%の方が必ず!!! 寄付に賛同してくれる。
そういう方々なら、
きっと自分の意思でもっと積極的に取る組む時があるだろうからと思い、
ここ数年は、寄付やボランティアなどのチャリティーの呼びかけをやめてしまった。
だって、、、
寄付やボランティアチャリティーなど、どんなにいい体験であっても
仕方なくとか、無理したり
周りの目にいいからと世間体のためなどでやるよりも、
できるなら、
純粋な気持ちで、自分のこころが自然に動いてできるほうがいい。
そういう自然にできる時期が誰にも訪れるものだとも思うし。
こういった各国のチャイルドサポートなどの代表を務めている知人の話によれば、
こうした環境から大人になって社会へ出ていく時、
ほとんどの子供たちが、 「人の役に立つ仕事」を希望し、
実際に、社会に役に立つ仕事にみんな就いていくという。
それってすごい!ことではないだろうか!
だってたとえ、特にこれといって何不自由なくちゃんと両親に育てられたとしても、
そのほとんどの人が「人の役に立つ生き方」をするようになるという
同じような結果が待ってる保証はないというのに。
一見、不憫に思えるようだけど・・・
事実、親に捨てられたり見放されたり、
お金のために強制労働させられて学校などへは行かせてくれなかったり、
着る物や食べ物や安全に寝る場所も不十分だったり、
本来、頼りになって助けてくれるはずの両親から受けた傷はみんな持ってるのに、
若くして、
「人の役に立つ生き方」 を選択できるようになれるとは・・・
彼らはすでに体験している。
物質的にも精神的にも、不安定で満たされることのない感覚や、
ある意味で " ひとぼっちの孤独 " になったことで、
自分はひとりでは生きてこれなかったことを、身をもって知っている。
世界中のどこかで、
世界の誰かが自分をサポートしてくれて、
今の自分が生かされていることをすでに人生で体験しているのだ。
普通そういう状況で育ったなら、
私たちが知りえるのは、よく一般的なドラマや映画ではありがちな
「仕返し」や「復讐」のために強く生き抜こうとするだろう・・・にと思うのに。。。
彼らはまだ若干20歳前だというのに、
人はみな、だれかに支えられて生きていることを知っているからこそ、
大人になったら、
今度は、自分が誰かの役に立てる生き方を希望するのだ。
私など到底及ばない感覚に等しいものがある。
これまでの人生でのわずかな恩恵にすら目もくれず・・・
人生に言いたいだけ文句吐いてきて、
家族や学校や社会など環境の犠牲者になりきってしまっていた頃が山ほどあって、
睡眠削って死に物狂いに働いて働いて、、、
ましてや、
福祉とかボランティアなんて、ずっと避けて生きてきた人生のほうが断然長いもん![]()
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だから思うんだぁ、、、
人はみんな誰でも、
ふと、、、そうしたい!と自然と思えるタイミングがあることを。
そのときが必ずやってくるから、そしたら、
自分のできる限りの中で、精一杯やったらいいんじゃないのかなと。
きっとそのとき、
これまで理解できなかった人生でのことを、
そのほんの一部かもしれないけど、
その出来事の本当の意味の深みを少し理解し始めるようになっていくと思うから。
帰り道デリー空港へ向かう途中、念願の(笑)インド@マクドナルドで
「ベジハンバーガー」を注文。う~ん、カレーコロッケだった

