たくさん知識を手に入れても、多くを知ってても・・・
いろんなところいったって、
やはり、
人は経験しないと
『わからない』し、『理解できない』し、 =ずっと『知らない』まま なんだなーと思う。
先週は、お久しぶりにお風邪を引いたと思って数日寝込んでいたら、
「ぎっくり腰」かと思うくらいの激痛が腰にやってきて、冷蔵庫も開けられない程だった。
話には「ぎっくり腰」って知ってるつもりだけど、
身体には、どんなものが一体そうなのかの "認識" がない。というか判断できない。
身体にとっては、経験がないのでわからないのだ。
思わず、
ネットで調べたら、
なんと!っ全部自分の症状が似ているような気がしてきてしまう・・・
(ホントはそんな訳ないのだけど(笑)
恐ろしい検索能力だぁxxxxxx!
人は、そうだ!と思い込んでると疑うこともできず、
例外があるかもしれないことも忘れてしまう。
いつまでたっても大してよくなっていく兆候のない腰のあまりの痛さと
よくわからないままの不安にもうっ耐えきれず、
信頼できる整体師さんへ夜分に失礼だとは思ったが、(超~ごめんなさいっ)
ついに連絡をしてしまった![]()
「仁観さん、それって "ぎっくり腰" じゃないですよ」
「え!」
「ウイルス性の腰痛です」
「それって?ナンデスカ!!!」 (言語表現がさらに怖くなった・・・。)
説明を聞いて、
なんと心が安らいだことか。。。。
その後、
偶然にも彼主催の整体教室のモデル?!にと大変有り難く呼んで頂いたのだけど、
ただただ寝転がってはいられないほどの驚きの連続だった。
症状緩和ごとに、
身体の一部分一部分ごとに、説明や対処法やその原因、
エネルギーの流れや経絡を整えてくれたり、
臓器のことや筋肉や骨同士の関係性など、を生徒さん方にレクチャーしてる。
ほんのささいなことで、内臓にウイルス性の菌が入り、
風邪を引き、発熱し、
それによってそれに関連する筋肉たちが収縮したり緊張したりひっぱられたりして、
それに関連する骨たちもあちこち影響を受けていた。
帰りの車の中で・・・
そんなにも身体の中があらゆる、みんなと繋がっているなんて、、、、
知ってるようでわかってるようで、実は体験の少なさで理解度は著しく乏しい。
私たちは、からなず なにかと関係性を持って生きている。
身体の臓器や筋肉や骨たちと同じように、
単品では、存在しえないのだ。
たとえばだけど(笑)
肺と心臓が喧嘩![]()
したり、
ふくらはぎがどうも生意気だからって胃腸が無視したりなんて、
もうあいつらとは関係なく、
自分だけでちゃんと生きていきたい!!!なんて、できないのだから。
単品のように見えても、
自分の意思だろうがそうでなくても、自分が好もうと好まずとも、
私たちは、 なにかと必ず繋がりを持って生きているのだ。
その繋がりや関係性について、もう一度見直すような
経験という学習 = 地球の旅 が この夏もまた待っている。
娘は、種子島へ一ケ月の島村留学。
彼女にとっては小1から始まりこれで3度目だけど、
初めての新たな
小学校へ通う夏になる。
来月は種子島へ娘を迎えに行きながら
、
日本最南端にある鉄道の駅
や指宿で砂風呂体験や
年に数回という潮が引いて出てくる砂の道を歩いて海を渡る「知林ヶ島」など、
誰かの解釈や本
や案内や
お決まりの学習内容の押し付けではない "体験という学習" が、
娘にとっていつか役に立てることがあるなら、親としては最高かもしれない。
彼女がまた新たな学びや成長する機会なら、
繋がりのある当然私たち夫婦もまた、
西インド&インド最南端&自然療法施設ナチュロパシーで18日間過ごす。
「非日常」の中だからこそ、
素直になって、
あらゆる関係性を見つめ直し時期として、
身体と心の関係性、心と精神の関係性、食べ物との関係性、
夫婦との関係性、子供との関係性、両親との関係性、
初めての経験や予想外からのストレスと感情の関係性、
顧客や働くこととの関係性、まだ意識すらしていない関係性などなど・・・
自分はなにと繋がっていて、
自分はこの地球の中でどんなあらゆる繋がりを持って生きてるというのか?
知ってる、わかってる気=ずっと『知らない』まま でいるのはホント嫌だと思う。
私たちは、何かひとつを見て、
すべてを判断することはできないように、
たった一度やわずかなことだけで
全部を決めつけてしまうほど薄っぺらなものは少ないように、
すべてのことに意味があるように・・・
新しい体験が、
新しい信念と個性の骨組みを自分自身へも与えてくれたこと、
これまでのささいな小さな試みが積み重なって、大きな結果を生みだしてきたことを
再び想い出しながら、
誰にとっても貴重な夏がやってくることを願いながら・・・



