東北地方・太平洋沖地震にて被災された方々、
またそのご家族の方々へ心からお悔やみとお見舞い申し上げます。
そして同時に福島原発の事故よりいまだ休まらないときを過ごされている方々へ、
一日も早い復興と
安らぎのある日常が一日でも早く戻ってくることを心よりお祈りしています。
2011年3月11日、あの震災から2週間が経ち・・・。
直接的な大震災を受けずに済んでいたこの地でも、この2週間の中で
多くの人たちがそれぞれ様々なかたちで「人生ではじめて」という体験をしている。
計画停電、帰宅難民、交通機能ストップ、連日の想像を超える被災地の映像、
買い占め、スーパーに朝から長蛇の列、薄暗い店内、がら空きの商品棚、
いまでも続く余震、まだまだ安心できない原発のゆくえ、
見えない放射能、野菜や水道水の摂取制限、
「人生で初めて」という新しい経験で、
これまでのパターンから抜ける素晴らしいチャンスが到来している。
これまでの同じようなパターンから抜けた新しい経験は、
私たちに 「新しい信念と個性の骨組み」 を与えてくれるという。
個人的には、
当然のようにでてきた新しい単位シーベルトやベクレルも
数字に強い自分さえ計算上理解し難く
、
普段毎日のように、
IH炊飯器で食べてる白米や電気カーペットや電磁波いっぱいのキッチンで、
冷凍食品を電子レンジでチンのほうは心配しないでいられることも、
密かに原発同様に怖い
。
わざわざお金を払ってまで水銀注入しにいくと言われているインフレンザの予防接種とか、皮膚通り越して、
血中に入ると言われている歯磨き粉やシャンプーや食器洗剤を365日使ってることとか、
身体に悪いヘア染めやパーマをちょくちょくしてるとか、
ハムやソーセージの亜硝酸ナトリウムを気にせず子供のお弁当に入れてるとか、
化学物質が直接あたるリサイクルできない生理ナプキンを40年間使うことも、
子宮に負担がかかる牛乳卵チーズヨーグルトなどの乳製品を毎日摂取してるほうが、
いつかがわからない、そっと忍びよるような感じがする
「すぐに人体に影響があるわけではない」という表現同様に、
知らずにいることだって怖い
。
乳児に摂取制限といっても、、、お菓子やケーキ、トランス脂肪酸のマクドナルド
に
幼いときから何年も通ってるほうは気にならないのだろうか。
これまで関心も興味もなく、
普通に何年も過ごし、何年も食べ続けてるのに
・・・
突然の政府の対応に不満を覚えても、
いままでも、
そして、これからだってすべて自己責任で、
"積極的に自分で学ぶ"ことをしない限り、誰も教えてはくれない。
なにかに不満を抱えてるうちは自立できなくなるだけなのだから。
こんなにいろいろ情報や学ぶ方法が溢れてる時代に、
知っていてもどう加減するかは個人の自由だけど、
きっと、いつだって我々は自由なんだと思う。
だから自分が抱えている不安や心配の源泉は、
べつに
"震災や原発だけのせいではない"ことを忘れてはいけないと思う。
だから、どこにいこうとも、どこにいようとも結局、逃げれるさきなど存在しない。
どれもすべて、ずっとこれまで私たちの日々の毎日に提示されてきていたはずだ。
大流行りしたあの「鏡の法則」や「引き寄せの法則」は、
こんな状況のときだって、ちゃんと機能している。
内なる世界が外なる世界と調和しようとしているのなら、
個々の中にも、そうしたものを映し出すような「課題」はあるはずなのだ。
このままいくと破局に向かうと誰もが心のどこかではわかっていながら
変えられなかった原発のシステムだって、
目の前にある利益や利害関係を優先せずにはいられなかったことも、
政府のことも、
直接的ではないけど、その末端的な部分からでは、
自分たちが選挙で、投票しようがしなかろうが、無関心だったり人任せだったり、
そうやって選んだきた反映の一部分もあるのかもしれないし、
このままでは健康や心、誰かとの関係をを害するライフスタイルであったり、
食生活でも、ライフスタイルでも、人間関係でも、
怒りや不安を貯めたままでいたり、ストレスのケアやこころのケアも、
すべての部分で、
人間関係や自身の"生き方そのもの"を見直すときが
来てるのかもしれない。
この今日本や世界のどこにいようとも、多くの誰もが感じてるように、
自分が置かれている中でいまできること、
ベストを尽くすこと、最善を尽くすことの意義を
見つめることができる素晴らしいチャンスが来ていると思う。
もう今となっては、すでに
『変わらないためにどうしたらいいか?』よりも、
勇気を持って、変わっていくときの不安定さや
居心地の悪さを引き受けながらも、
『これから変わっていくためにはいまどうすべきか?』
がんばろう、ニッポン。
そして・・・・変わろう、日本。
これまでの当たり前のような日常がどれほど満ち足りているものだったのかを
ときどき忘れないように・・・
そのための授業が始まっているのなら、、、サボっていては進級できないのかもしれない。
こころが傷つくのは、嫌な事ばかりではなく、
ほんのささいなことで、美しいことや感動するような場面でも、
私たちは、自分を自分で傷つけてしまいがちになる。
誰かが高額の寄付やすごい支援をするのをみて、
多くのことができない自分をみて、自分を傷つけていく。
だれでも自分が不幸なときや絶望を抱えているときは、
なかなか他人を思いやれないように、
自分自身が幸せでなければ、人を心から思いやることは難しい。
その『幸せの意味』さえも、
このような震災を目の前にして、
どんな困難な悲惨な状況の中にいても、
『幸せ』を見出して前進しようとする人たちから、
わたしたちは多くを教えてもらっていくのかもしれない。